心と体

2010年3月 7日 (日)

ボルトが14本・・・レントゲン写真を借りてきた 

昨日病院に行った時にレントゲン写真を借りてきた。

コピーだと実費がかかるらしく先生が「次に持ってきて下さい」と言う事で貸してくれた。

スキャンしたものをアップしているので分かりにくいかも。

こうやって見ると見事にボルトだらけです。

数えると多分14本。。。

そんなに入っているのか。

まあこれだけてんこ盛りだとさすがに骨が出来ても金属は抜けないだろうな。

ちょうど左の元くるぶし?あたり(くるぶしの所は骨が砕けて無くなっている)金属の先端部分がちょっと飛び出してる

感じで気になっていたので先生に質問。

「先生この飛び出してる所、皮膚を突き破ったりする危険は無いんでしょうか??」

「はい、装具とかでこすったりしなければ大丈夫ですよ」

「・・・・」

って装具でこすれただけで皮膚を突き破って金属が顔を出す可能性があるって事か・・・!!

それ以上何も言えずに退室。。。

やけに暖かな一日でした0002

2010年2月28日 (日)

現場検証・・・その2

2 1 Photo 以前にも一度アップしましたが、

再度事故現場の写真を撮ってきました。。

こうやって見ると道路の幅に対してもかなりの存在感。

まあここに垂直(かどうかは定かではないが)落下すればただでは済まないでしょう。


余談だが先日リハビリ室で理学療法士のH先生に最近の整形外科病棟の事を訊いてみると、急に雪が降ったりしたので、結構転んで骨折して病院送りになる方が多いらしい。

みなさん気を付けて下さい。。

2010年2月23日 (火)

最短記録 60分で全て終了

昨日は2週間ぶりの通院日。

基本的に待つのは苦手な性格なので大きい総合病院だとたまに苦痛になる。

昨日はあっというまに終わった。

10:40 到着 そのままレントゲン室に。

10:50 レントゲン終えて外科待合室に

11:00 診察

11:10 そのままリハビリ室へ、先に会計を済ませ薬番号を貰う

11:40 リハビリ終了、珍しい事に薬も出来ていた

う~ん毎回こんなペースならいいんだが。。


さて主治医とレントゲン写真をチェック!

お~又新しい骨が出来てきている。

前回(2週間前)は真っ黒に映っていた部分がぼんやりと白くなっている。

良い傾向だ。

「このまま続けましょう」

「先生、やっぱり皆さんこんな感じなんですか?」

「個人差はありますよ、

Fさんみないに骨が出来るまでじかんはかかるけど出来だすと早い人もいますし、

最初からモリモリ出来てくる人もいますから」

ん??

先生言わなかったけど、

と言う事は第三のケースでいつまで経っても骨が出来ない人もいるわけだ。。

そうなると再手術と言う事ですか。


さて又二週間後、

どんだけ骨が出来ているか楽しみだ。

しかし加重は20キロのまま、

まだまだ先は長い。。

2010年2月20日 (土)

事故現場 私はここに垂直落下??

毎日通る道。

まあこの道を通らないとどこにも行けないのでしょうがないが、

通る度に9月24日の事を思い出す。

写真では分かりにくいがこの溝?幅は1mちょっと深さも結構あって1.3~1.4m位だろうか??

車が二台すれ違える広さの道路なのだが

何故か2k程の道路脇にこの用水路は続く。。

通学路にもなっているので毎日多くの生徒達が自転車でここを通る。

さらに夜は街灯も少なくかなり危険だ。

と認識していたにも拘わらず、

落ちた。

落ちた瞬間はアドレナリン出まくりだったので痛みすら感じんなかったが

気が付けば泥まみれになって落ちていた。

しかし頭とか打たなくて不幸中の幸いだったのかな。。

ちょっと自販機まで飲み物買いに出かけて、

そのまま病院送りとは、、

1分後の事は誰にも分からない、

と言う事ですな。


明後日は病院に行く日。
Photo
「頭蓋骨」もくっつく超音波治療器、

どうかがんばってくれ

2010年2月10日 (水)

一年でも待ちましょう・・・BY 主治医

B1 二週間ぶりの通院。

11時の予約なので10時半に病院に到着。受付を済ませそのままレントゲン室に向かう。

相変わらずそこらじゅうが人でごったがえしている。

30分ほど待ってレントゲンを終えてそのまま外来の待合室に向かう。

はいここも混んでます。

外来の診察室は10部屋以上あるがここで名前を呼ばれるまでが長い。

今日は意外とスムーズで30分も待たなかった。

レントゲンを見るなり先生
「やっと骨が出来てきましたね」←これはグッドニュースである
「ここがこうで、それがこうで・・・」色々説明入ります

やはりあの「頭蓋骨でもくっつける」超音波の機械のおかげなのかどうかは分からないがやっと骨が出来てきたのはいい事だ。

再手術の事を先生に訊くと新しい骨が形成されている以上は待ちましょうとの事。
「たとえ一年かかっても待ちましょう」
ってへたすると全治2年ですか???

5分程の診察を終えてそのままリハビリ室に向かう。
担当のH先生が不在なので別の理学療法士の方が今日は担当。
どうも右の骨盤にちょっと負担がかかっているらしい。
まあ左足に体重がかけられないので当たり前と言えば当たり前だが。。

昼過ぎに全て終わったがこの病院はここからが長い。
会計をすませ「薬番号」を貰う。
「191番」
ボードを見ると今100番まで薬が出ているので90人待ち。。
まあ一時間かな?

いつものように外に唯一ある喫煙所(写真参照)↓、と言えばきこえはいいがただ灰皿がポツンと置いてあるだけの場所だが、で一服。
入信中は車椅子で一日10回はお世話になった場所だ。

なんやかんやで岐路についたのは1時過ぎ、まあどの病院でもこの位はかかるんだろうな。。。


しかし気が付けばこのブログも一月近く更新してなかった。。

2010年1月27日 (水)

術後の画像 初公開。。

001 Photo ちょっと生々しいので解像度を落としてあります。
食事中の人は見ないほうがいいかも。(汗)

しかし外側はかなりの長さを切られたようです。
この長さ分のプレートとボルトが入っています。

今更ですがまあ見た目は酷いものです。
両サイドにプレートとボルト(外側は10本位)のテンコ盛り状態、更に真ん中にも一本。。。

実際レントゲンを見ると「これが人の足か~」状態なので、まあ色々なブログで多くの方がレントゲン写真をアップされているようなので私も近いうちに。
レントゲンは毎回通院の度に撮っているがあれは「下さいっ!」って先生に言えばいいのか未だに迷っている。


これだけ継ぎはぎ状態の足になると全ての金属を将来的に取り出す事は出来ないらしい。
本来異物である金属を足に入れたまま一生お付き合いするかと思うとちょっと気が重い。。

まだまだ先は長そうだ。

2010年1月 1日 (金)

1から10???じゃ~3位にしておくか。。

9月29日

いよいよ手術の朝を迎えた。
前日の夜からは一切何も口にしていなかったが睡眠が取れたのかどうかも今は記憶が無い。
取りあえず頭の中は「剃毛」←何故かこの単語打ち込んでも変換されない、と「浣腸」で一杯だった。

看護師から「15:15にオペ出しの予定です」と言われた。
う~む、「オペ出し」とはコンビニなどでやる「品出し」と同じようなものだろうと想像はついた。
まあ運ぶ物が「人間」か「商品」という違いだけであとは同じようなものだし。。

朝からバタバタと点滴やら検査やらあったと思うがどのような順番だったのだろう。
ただ「浣腸」ってされるのはまあ良しとしよう(別に好きな訳ではないが)。
しかしベッドの上で横になったまま「する」と言うのは頭では理解出来ても体が自然と拒否反応を示す。

なんやかんや中途半端なままに「時間」が来た。
ベッドのままオペ室へ移動。
私は目が悪くメガネ無しでは多分0.03とかその位の視力しかない。
したがってメガネ無しになった時点でもうかなり不安感が増す。

オペ室のドアが開けられ中に。。
「寒い!」と「青い」がその瞬間感じた事。
何でこんなに温度下げてるんだろう。
さらに「青い」色のイメージが寒気を増す。
何だかぼんやりとしか見えないがやたらと人が多い気がした。
手術台に仰向けに乗っけられた私を覗き込むように「OOです」「XXです」とか挨拶されたがこちらは顔も判別出来ません。

麻酔が始まったがなかなか自分のの「感覚」を言葉で伝えるのは難しい。
麻酔医にしてみれば麻酔の利き具合は私の言葉で判断するしかないので相手も必死である。
あれは氷だったのか色々な場所に当てながら「この冷たいのは感じますか?」「1から10で言うとどの位ですか?」
感じると言えば感じるし、何かが当たっているのは分かるがそれが「冷たい」感覚なのかどうか返答に困る。
1から10と言われても多く答えすぎて麻酔が効かないのも困るし、少なく答えて余計に麻酔されるのも困るし。
このあとどんな事をされるのかももう一つ理解出来てないのでどこで妥協するかが難しい。
そのうちに足にはほとんど何も感覚がなくなった。。。
そう伝えるといよいよ開始である。
半身麻酔だったので「眠り」につくまではぼんやりではあるが自分の足が見えていた。
いきなり左足を持ち上げられいきなり「ガリガリ」音が聞こえる。
見るとまるで大根か何かを削っているかのように遠慮なく左足が「工事」されている。。。
まるで大工仕事を見ているようだ。
このあたりで口に何かを当てられ意識をなくす。。。あれ半身麻酔でも眠らされるんだ。。

目が覚めるとちょうどオペ室から運び出されるときで、この時感じたのは半端なく寒い!!」
と言う事だけ。
歯の根が合わないと言うか体中寒気で震えが止まらない。
ひたすら「寒い」事を訴えた。

先日ネットで色々な人の入院日記を見ているとやはり私と同じで「寒かった」人が結構いるようだ。

色んな管だらけでそのままHCUに搬入されたが時間を尋ねると「19時」と言う事は三時間半ほど手術にはかかった事になる。

一番パニックになったのはここからであった。
まず「痛み」、これは切り刻んだのだから痛いのは覚悟していたがそれでも痛いものは痛い。
痛み止めの薬なんぞ普段頭痛の時に飲む市販の薬ほども利かない。
さらに座薬を入れてもらったがこれもダメ。
まあ痛みに関しては自慢じゃないがかなり弱い方なので、人によっては我慢できるのかも知れない。

この痛みが来るまでは自分の下半身に「全く」感覚がなく身動き一つ取れない、これが耐えられなかった。。
背中から二本の管が入っておりそこから「痛み止め」と「麻酔?」が注入されているらしいがこの「無感覚」に耐え切れず全て「OFF」にしてもらった。
しかし結果として自分の下半身に感覚が戻ったのはそれから5~6時間後の事だった。
どんだけ強い麻酔なんや??
今にして思えばこれがもし「全身麻酔」だったら首のしたから「無感覚」が続いていたかと思うとぞっとする。

でやっと足の「感覚」戻ったかと思うと今度は上記した耐え難い「痛み」。
ここで又究極の選択である。
あなたならどちらを選びますか?
下半身の感覚がなくピクリとも動けないけど痛みも感じない状態と、メチャクチャ痛いけど感覚はあるのと。

結局は一晩中ナースコール押しまくり、背中から入ってる痛み止めのスイッチの「オン」「オフ」の切り替えをしてもらうはめとなった。
しかし看護師さんもいいかげん面倒だったと思う。
その日夜勤で一晩中付き合ってくれたSさん、ありがとうございました。

しかしこのHCUでの長~い夜を乗り切るもう一つの大きな障害に直面した。
それは「水分」、そうである。
前日のよるから水分は一切取っておらずこれで明日の朝まで・・・と思うと我慢出来ない。
ましてや術後でかなり熱も出ており口の中は「カラカラ」である。
この窮状をSさんに訴えると水分を含ませたガーゼをくれた。
何度かガーゼを貰ううちに「悪魔の囁き」に負ける事になってしまった。
そう、ガーゼを吸って少しの水分を喉から補給してしまったのである。
今考えるとあのガーゼの「水」って飲料水を使っている訳でもないので衛生面からも問題あり、だったと思う。
しかしSさんも勘の鋭い方で「飲んだでしょ」「ハイ。。」
すぐに見破られてしまう、いや多分私と同じと事をする人がきっと多いに違いない。
Sさんからしてみれば勘、と言うよりあくまで十分「推定の範囲内」の事だったのだろう。

しかし時間が経たない、何だか10分おきに時間を訊いているような気がする。

「今何時ですか?」
「2時です」
「今何時ですか?」
「2時20分です」

朝までこんなやりとりが続く。。。

2009年12月31日 (木)

手術直前・・・すでにヘタレ状態???

さて今年も残すところあと一日、とんでもない一年になってしまったが来年もH病院とは長いお付き合いになりそうだ。
M先生、リハビリのH先生来年も宜しくです。

9月28日

さて手術まで一日と迫る。
確かその前にS先生から所謂「インフォームド・コンセント」ですか、ナースステーションで色々説明を受けた「らしい」のだがここも記憶がない。

人間追い詰められて「真っ白」になると記憶などと言うものがいかに曖昧なものかが分かる。
インフォームド・コンセントに関しては
「イインフォームド・コンセントは「説明」と「承諾」を二大要素としていますが、説明の必要性より前に、承諾の重要性の認識から始めるべきだと思います。」
などと記述されている偉い先生もいらっしゃるが「選択肢」の無い状況では「承諾」以外の方法などあるのだろうか?

足は「牽引」された状態なので身動き一つ取れない身には病院の一日はやたらと長く感じる。
朝は6時、中には夜勤疲れからか「早く起こしちゃえ」と思っているかどうかは知らぬが、5時40分頃に「おはようございます!!」と電気つける人もいる。
それから朝食までの二時間、当然何もやる事が無い。
と言うか動けないのだから何も出来ない。
そして21時の消灯までひたすら長い15時間となる。

余談だがこのH病院は「消灯」後に関しては以外にうるさくない。
入院が二ヶ月目に入った頃には本来の「夜型」人間に戻った私は深夜2~3時頃までテレビを堂々と見ていたが一度も注意される事も無かった。
スタンドもつけっぱなしなのでたまに深夜に夜勤の看護師さんがカーテン越にこそっと覗きに来たりしていたが、ここでも堂々と「どうかしましたか?」的なオーラで対応すればOKだった。
一階の正面入り口の自動ドアも22時には閉まるのだが、車椅子で病院中を探索し尽くしていた私は夜中の12時でも閉まったドアを「こじ開け」?外でタバコを一服していた。

又余計な話になった。
さて手術の前日21時以降は食べ物は勿論、水分も取ってはいけない。
これは事前に聞いていたが、術後一晩はHCU(ハイケアユニット、ICUとは異なりナースステーションのすぐ横の部屋で手術直後の患者などを一時的に収容する )で管理され水分が許されるのは翌朝自分のベッドに戻ってから、
したがって<strong>36時間</strong>以上水分を口から取ることは出来ない。
これはあとで分かったことだが、先に説明があれば心の準備も出来たと思うが。。。
今思い起こせばこの36時間が一番辛かった。
この先は手術後の日記に記そう。

この日の夕方に私の担当の「麻酔医師」がやってきて、マックじゃないが「飲み物はS.M.Lどれになさいますか?」的な尋ね方で全身麻酔にするかどうか尋ねられた。
「全身」と「半身」だとどこがどう違うのか結局良く分からぬまま「じゃ半身でお願いします」と安易に答える私。
後々この答えが「正解」だったことを知る事になる。

この先生かなり経験のある先生らしく「安心してお任せ下さい!」と繰り返しておられたので一応安心してたのですが。。。

いつもの事だがこの話も落ちがあり、結局手術当日この先生は「都合」で私の手術に立ち会えなくなったようで急遽「ピンチヒッター」の先生の登場となった。。。

明日の手術は15時頃からの予定らしいが、その前のオペの都合によっては多少前後すると看護師さんからの説明。
で夕食後には下剤を飲んでさらに明日オペ前に「浣腸」をするらしい。
あと明日の朝には「ていもう」しますと言われまた私の頭の国語辞典は混乱した。
数秒後に「剃毛」と言う漢字がやっと浮かんだ次第。

しかし今ネットで調べてみるとこの「剃毛」の医学的根拠にはちょっと??と思う。
以下引用↓
「盲腸など下腹部の外科手術を施すとき、「手術中、傷口に毛が混入して細菌感染する恐れがあるので・・・」というような説明を受けて、陰毛を剃り落とすわけだが、実はこの「剃毛」の処置、逆に感染を引き起こしやすくなるらしいのだ。神経内科医で医療社会学者の美馬達哉先生のお話によれば、「剃毛の感染予防結果について、科学的な客観評価をしたところ、無意味どころか有害だという結果がでている」

興味のある方はhttp://news.livedoor.com/article/detail/2016528/?rdに色々書いてます。

そんなこんなで色々説明らしきものを受けたりして心の準備、整理も出来ぬまま明日の手術を迎えることとなったのだが。。

2009年12月29日 (火)

2009年9月24日 事故当日

さてここからは記憶をたぐりながら出来るだけ正確に書いて行きたい。
単なる入院日記ではなく、その間に自分の身の回りで起きた事や思った事なども書こうと思うが、不思議な事に入院直後の記憶が一部飛んでしまっている部分もあるようだ。

これまでの人生で一度も「入院」という事を経験した事もなければ、あたりまえだが事故直前まで自分が入院するとは考えてもいなかったので「精神的」な部分でのショックは大きかったと思う。

さて話を戻そう。
2009年9月24日 19:15 「何故事故は起きた?」
現在私はS県に住んでいるが実はここには7月に事情があり引越ししてきたばかりだった。
ず~っと都内での暮らしが長かった事もあり免許を持っていない人間には地方都市での移動手段は限られてくる。

その日も家から2Km位の場所からゆっくり歩いて帰宅する途中だった。
さすがに7時を過ぎるとあたりはもう真っ暗、街灯の少ない道を歩くのにはそれまでも一応注意していたつもりだった。
あと家まで500mも切った所、ちょうど前方に車のヘッドライトが見えたので「危ないな」と思いつつ少し道の右側に寄ろうとした瞬間だった。
その時の記憶は一部真っ白で気が付くと道端の用水路に落ちている自分に気が付いた。
コンクリートで出来た用水路は深さ約1.2m位、幅は1m位、ちょうど立ち上がると胸位まである深さか。
多分その用水路(その道路沿いの用水路にはフタが無く以前から危険だなとは思っていた)に足から垂直に落下したと思われるがなんせその瞬間の記憶も無く、もっと言えば痛みすら感じ無かった。
用水路と言っても大量の水が流れている訳ではなく多分10cm位の泥水だったと思う。
無意識に這い出し道路の片隅に座り込み、まず体の痛みをチェックする。
「どこも痛くないし大乗かな?」などと呑気に考え自分の左足を見た瞬間まるで「見てはいけない物」を見たように血の気が引いた。
左足があらぬ方向へ曲がっている。。。
「これじゃまるでエクソシスト状態だ。。」いや~な予感を覚えつつ何とか立ち上がろうとしたその瞬間、左足首がまるでコンニャクになってしまったような感覚と共に激痛!
この時初めて「やってしまったかも」と思いつつ、瞬間色んな事が頭をよぎった。

ただどうしても自分の意思では立ち上がる事も出来ない状態では選択肢は限られいる。
セカンドバッグから泥まみれの携帯を取り出すと、ホ~携帯は無事だ。
生活防水どころか泥沼まみれでも使えると言うのはすごいなどとどうでもいい事を考えながら、さて「救急車」かそれとも誰かに迎えに来てもらうか迷ったがやはり「救急車」には抵抗があり後者を選択、迎えに来て貰うことにした。
その時はまだ「泥まみれだし一度帰って着替えてから病院に行くか」などと呑気に構えていたがいざ救急病院に着くとやはり「それどころ」では無かったようだ。

まず運んでもらった車から降りれないのでそこから車椅子にのり救急の受付へ。

21:00
30分ほど待たされてようやく名前を呼ばれる。
たまたま当直の先生は整形外科だったので不幸中の幸いだったかも知れない。
診察室に入る前にレントゲンを撮ったようなのだが、その部分の記憶も無い。
はっきり覚えているのは先生の一言「このまま入院して頂いて、手術します!」
確かにレントゲン写真を見るときれいに骨は折れていた。。と言うか「ずれていた」と言ったほうが正しい表現か?
先生曰く「骨が皮膚を突き破って外に飛びださなかった」だけでも良かったらしい。
それほどの骨折か。
足首は何でも三箇所の骨で支えられているらしいが、それが全部折れているらしい。
ただ二つに折れるだけならいいがかなり「粉々」状態のようで所謂「粉砕骨折」というらしい。
その時に色々説明を受けたようだがここも記憶が飛んでしまっている。
かなりパニックになっていたようだ。
多分先生はその時に「全治三ヶ月」ほど、と言っていたような記憶があるが日が経つにつれ「三ヶ月」とは程遠い現実を知る事になる。

23:00
何やかんや書類を書いたり入院に関する説明を受けたりした後、病室で初めて我に返り「これからどうなるのだろうか?」「足は治るのか?」「手術は痛いのか?」「不眠症で導眠剤無いけど貰えるのか?」「トイレはどうする?」一気にこれからの不安やら心配事が頭の中を駆け巡る。

足は応急処置で固定されているが身動きも取れず、明日からの「現実離れ」した日常の想像もつかぬまま日が変わった。

今振り返るとなんと長い一日だったのだろう。。。

さて何から書き始めるかな?

9月24日に事故に遭い左足首粉砕骨折。。。
9月28日に手術、足の中がボルトとプレートのてんこ盛りになる。
先日退院したが順調に行っても自分の足で再び歩けるようになるまでまだ数ヶ月はかかりそうだ。
2週間おきの病院通い&リハビリ。
まだまだ長い道のりになりそうだ。。

自分なりに入院中の事やら現状やら忘れないように記録しておこう。


先生からは骨の形成が遅いので超音波治療を始めましょうと、それで2~3ヶ月様子見て、それで良くなければ再手術です・・・らしい。
出来れば手術室には二度とハリタクナイデスケド。。